その件は、未だ迷宮入りです。

ぽくぽく走ったり、カレーを食べたりします。知らんがな、のことしか書いてないです。

「素敵」に逃げない宣言。

フライドオニオンを買いに寄り道したら、本屋でカレーのドリルを買っていた。レシピ本じゃなくて、ドリル。これを見た瞬間、いきなり胸が熱くなってしまった。そう、作り方を教えて欲しいんじゃない、知識とテクニックを学びたいのだ!
最初の問題は、強火オンリーの15分でチキンカレーを作る。カレー欲が落ち着いてきた私だけど、このエンタメ感には浮き足立ってしまう。今週末絶対やってみる。

やっぱり料理本は、画面じゃなくって紙で眺めたい。

その本屋で「素敵」に逃げちゃだめ!と書かれていた一節に出会った。立ち読みだけど。それに鈍器で殴られたような衝撃を受けた。その「素敵」はどういう感情なのかをもっと具体的に言葉にしないとどんどんと言葉が出なくなってしまう、と。まさに、たしかに、今の私がその状態を現実にしたようなものだ。

昔は週一ペースで芝居を観に行っていて、それについて色々と想いを馳せて、うちから湧き出るいろんなものを言葉に残していたはずなんだ。
いつからか、それが全くできなくなった。
一番は自分の語彙力への失望だった。好きなものが好きすぎて、私が貧弱な言葉でそれについて語るとその世界がどんどんと汚されていくような気がして、感想はどんどんと抽象的になっていった。あと、その観客の間でのマウント合戦に巻き込まれたくなかった。私の方が愛が強い、俺の方がなんでも知ってる、その解釈は間違っているのに感想をいっちゃうなんてダサいやつだ…なんてやつ。私は物語と向き合いたいのに、一部(そう一部なのよ)は観客のなかで優位に立って悦にいってた。そんなやつと対等だと思われるのが我慢ならなかった。

などと、もっともらしいことをいっているけれど、結局は言葉にすることから逃げたのだ。なにが自分の琴線に触れたのかということを追及するのを放棄したのだ。
そりゃあ、言葉が全然でてこなくなるわけだ。こうやってお昼休みにブログを更新することを日課にしようとリハビリをはじめたのに、昨日は「シソンヌの単独、満足でした。面白かった!」で締めくくってしまった。これは由々しき事態だ。
じろうさんがコントごとに全く別人なっていることに目が離せない、その理由をもっと突き詰めなければならない。演じる女性が何故にあんなに色っぽいのかも。
そして、私がどこに面白を感じているのか、ちゃんと、落ち着いて考えて、言葉にしよう。